インターン体験記      佐飛宏尚

インターン体験記
part1  〜議員に同行〜 9月6,7日


 インターン二日目。行事の少なかった初日とは違い、いよいよ本格的に議員活動を体験することができた。東京から出発する前、友人から「議員インターンって大変みたいだぞ」と発破をかけられていた。しかし、自分の中で選挙運動は駅前の街頭演説や街宣車での地域まわり以外知らなかったので、実際の選挙活動を体験して想像との違いに驚いている。「忙しい」「大変」という言葉ほど想像と現実に開きがある言葉はないと切実に感じている。

 この日は支持者へのあいさつ回りが主な仕事。何が大変かというと一日にこなす仕事の数と移動が多い。この日は朝8時半から夜8時半までの間、四日市から亀山を10ヶ所ほどまわった。移動時間も4時間くらいになったのではないだろうか。乗り物に弱い私にとって体にこたえた。仕事の内容もグラウンドゴルフ大会やカラオケ大会での挨拶から市議の結婚式など冠婚葬祭、地域懇談会まで多種多様だ。

 特に下大久保地区での地域懇談会は興味深かった。懇談会と聞いて参加者とともに食事をし交流を深めるのかと思っていたらそうではない。支持者の前で活動報告をし,参加者の質疑応答にこたえるのだ。この地区は北川元三重県知事のお膝元。それだけに参加者の政治への関心度が高く、議員のお話を聞く眼差しは鋭い。質疑では年金問題や治安維持、雇用問題など私達の生活とは切っても切れない話題が多かった。どんな質問が来ても、議員がマニフェストの内容で切り交わしていた姿が印象的。政策内容が「警察官を一万人増員します」のように具体的なので、「指きりげんまん嘘ついたら針千本飲ます」と参加者と固く約束を交わしたかのようだ。マニフェストの中身に触れると、参加者の中にはこれを聞きたかったというように笑みを浮かべながら耳を傾けている方もいらっしゃった。中身云々より、マニフェストを導入することにまず一つの評価を与えてよいのではないか。

 この日の最後、議員が東京へ向かうとあり、電車でゆっくりとお話することができた。議論が難航している消費税の問題にも迫ってみた。議員は増税に賛成なのだか、世論の反対もあり党内では意見がまとまらないと悩んでおられた。単なるの学生の身分である私に対して一つ一つ自分の政策を熱弁してくれた。

 話を聞いていて感じたのは、政治家は思った以上にこの国をどのように良くしていくのか真剣に考えていること。「地方に本社を」という政策にはかなり共感を持てた。これは自分が考えた政策でまだマニフェストには盛り込まれていないらしい。税制面で地方が企業を優遇し、本社を誘致しやくし、雇用を拡大しようというもの。同じ雇用問題でも、都市と地方では事情は異なる。三重県の場合、会社自体が少なく失業以前に就職することが難しい。また働き口が多い名古屋に通勤できる県北部に人口が偏ってしまって県内の中に南北格差が起きてしまう。実現は難しいと思うが、自分の手で日本を変えるんだという意欲がなければ、このような実態を踏まえた政策は生まれないと思う。

 ただ、政治家というのはマスコミ報道で批判されたり、おもしろおかしく扱われる。政治とカネの問題しかり、選挙戦しかり。批判ばかりしてもこの国はよくならない。政治家の地道な活動、政策をもっと評価していいと思う。政治家にとって大変なのは支援者へのあいさつ回りよりも本当の姿を知ってもらうことなのかもしれない。

インターン体験記part2〜民主党三重県連にて〜 9月8〜24日

 「金子の手伝いをしてくれへんか」。インターン初日、議員が自宅から車に乗り込むと、開口一番私にそう言った。藤波孝雄元内閣官房長官の引退で注目される三重五区から民主党公認で新人の元経済企画庁の金子洋一氏の出馬が決定したばかりだったからだ。国会議員からものを頼まれて断れるはずがない。私は一つ返事で「はい」と答えた。しかし、まだ事務所もできていない状況。体制が整うまで民主党三重県連でお手伝いをすることに。結局ここにいるのが一番長かった。

 県連が行う仕事は国会・県会・市町村会議員のとりまとめ、主催行事の準備など。自分が行ったなかで一番大変だった仕事は議員ネットワークの名簿作り。会議参加者のはがき約三百枚を渡され、一区から五区まで市町村別に氏名,住所,電話番号等の名簿を作る。まず、順不同の300枚のはがきを市町村別に並べる。今度は市町村の中にアイウエオ順に並べる。そして、必要事項をパソコンで打ち込む。仕事自体は簡単。ただ、住所はまだしも、名前・電話番号が間違っていたら大変なことになる。確認作業には何度もパソコンの画面とにらめっこをし、かなり神経を集中させた。


 実際のところ、仕事をするより、他人の仕事を見ている方が勉強になる。その中でも新人候補の金子氏を当選させようとする意欲を強く感じた。選挙のベテランである県連の幹部が「都市部と過疎部で同じ演説をしても有権者はついてこない」など元経済企画庁官僚に演説を事細かに指導。金子さんのパンフットやポスターも業者さんに何度度なく駄目を出す。パンフットに関してはこちらで写真や文字を切り貼りしてレイアウト指示したものが完成品に(笑)。選挙に勝つためには妥協は許されない。三重県だけかもしれないが、これほどしっかり新人候補の面倒を見ているとは意外であった。政党から選挙に出るのと無所属から出るのでは大きく違うことを感じた。

余談になるが、県連での思い出は「にぎりめし」。昼食の時間になると「にぎりめし買えるだけ買ってきてくれ」と幹事長から千円札を渡されることがあった。私はその言葉の通り、おにぎりを10個近く買ってくる。幹事長が「一人一つはあたるな」といっておにぎりを配るのだが、幹事長と私しかおにぎりを食べない。他の人は弁当を食べている。そしてなぜか余りは私がすべて食べることに。食べられない分は三時のおやつにと冷蔵庫に。ただ、三時のおやつでも食べきれない。その場合は「いつでも食べられるように」と、おにぎりは冷凍庫に・・・。結局、賞味期限が3日過ぎたおにぎりを解凍して食べたこともあった。私が去っても、まだ冷凍庫にはおにぎりが入っているのだろうか。


インターン体験記part3 〜いよいよ金子事務所に〜 9月25〜30日

  「伊勢に来い」。民主党県連でいつものように仕事をしていると、幹事長からお呼びがかかった。私は遂にやってきたかという感じで胸が弾んだ。実は、予定では10日ほど前に事務所ができているはずだった。ただ、いつになっても連絡がないので、金子事務所に行くこともなく東京に帰るものだと思っていた。

 事務所開きまでにはいろいろ大変だった模様。なんと言っても、金子さんは奥さんが三重県出身だが、本人は神奈川県の出身。関係者に聞くところによると、三重県の場合、県議から国会議員になる人が多い。そのため、選挙を迎えるときには事務所やスタッフのがある程度整っているそうだ。しかし、金子さんの場合は事務所をどこにするかでひと苦労。しかも最初の段階で地元で頼れるのは奥さんとその親戚のみ。普通だったら手間を取られなくていいところで手間を取られてしまっていた。いろいろな意味で「一からのスタート」といえる状況。スケジュールがずれ込んだのも仕方あるまい。

 実は私の実家から金子事務所まではじつに遠い。片道二時間はかかる。選挙区で言うと、最北端と最南端にあたる。それでも行くには理由がある。普通、これだけ距離が離れているのなら、わざわざ来いと言わないだろう。それでも行けというには勉強になること、力になることがあると思ったからだ。

 邪魔者にならないだろうかと不安を抱きつつ、緊張しながら事務所に入る。すると、民主党と協力関係にある連合三重の方と金子さんが私を出迎えてくれた。「すみませんあと一週間ほどしか手伝えないんです」というと、少し落胆の色を見せながらも、笑顔で「助かります」と答えてくれた。衆議院選挙に出るだけの人だから、最初はどのように接すればいいか不安だったが、いつも笑顔で丁重に接してくれる。

 私に与えられた仕事はパンフレットに紹介者カードをはさむ作業。50部ずつを紙でくくってテープで止める。いたって単純だが、数が途方もない。なんと最初の時点で5万部ある。私と事務所専属の運転手さんが必死にやって一時間に1500部。追加でパンフレットと紹介者カードも追加でどんどん運ばれてくる。「一体いつになれば終わるのか」とぼやいていると、金子さんの奥さんと親戚の方が次々と手伝いにきてくれた。今までのペースが嘘のようにスムーズに進む。机の上には完成品が次々に並ぶ。いつの間にか、私は完成品をダンボールに詰める作業をすることに。とにかく選挙戦は人が多く集まれば、有利に進むことが身にしみてわかった。

 次の衆院選からはマニフェストが導入されることになる。これからは政策重視の選挙となることだろう。私は候補者だけでなく、有権者の側にも変化があってもいいのではないかと思う。どういうことかというと、政策に共感の持てる政党や政治家がいれば、その選挙事務所に手伝いに行くことだ。たとえば、治安に不安を持つ人がいれば、治安問題に力を入れた政策を掲げる政党の候補者を手伝う。やってみて分かったのだが、選挙にはとにかく人が必要だ。選挙事務所には誰にでもできる仕事がたくさんあるし、歓迎もされる。現状では難しいかもしれないが、政治に対する信頼感が高くなれば可能なことだ。